※ パソコンの音量を大きくしていただくと,全校児童の演奏による
 西方小テーマソング「Dream of Nishikata」を聴くことができます。
【西方小学校 校歌】
【西方小学校校歌にまつわるエピソード】

西方小学校の校歌は,1962(昭和37)年に完成しました。実は,校歌を作詞した浜田盛秀先生,校歌の案を三つも作ってくださっていたのです。
その三つの校歌案が,下のとおりです。ちなみに,すべて浜田先生の直筆です。

【校歌案 その一】 【校歌案 その二】
「校歌の作詩,作曲,振付の出来るまで」
(昭和37年度大運動会のプログラムから抜粋 字は当時のまま)
昭和三十六年度に学校統合の線は崩れ,単独校舎改築に決つた。従来校歌をつくりたいと言う声はあつたが,その機は熟さなかつた。たまたま単独校舎は,鉄筋にして貰いたいと云う校区の余論が沸騰し,これに併行してPTAは校歌制定をしたいという要望が高まつた。この方法には大体三つあるが其の(一)著名人に依頼する (二)一般から公募する (三)学校や地域の人達と合作する。結局役員会で話し合いの上(一)に決めた。
作歌は浜田盛秀氏に依頼する。作曲は,武田恵喜秀氏に依頼する線を内定した。
浜田盛秀氏は現国分市郡山小学校長,小,中,高,歌詩二十編作詩。南日本の歌,薩摩よかとこ,あゝ須田訓導などの作詩をした。
武田氏は鹿児島大学教育学部音楽担当の助教授,作曲は県下各種学校の校歌など数多くある。
昭和三十七年一月十二日及二月三日に歌詩三編が届いた。それを役員会で協議し,其の(二)を採用し五月十二日のPTA総会で其の決定を承認し,予算を計上した。
八月二十六日歌曲が送つてきた。これを子供に歌わせたり,学校で検討して,PTAに計り決定した。
尚振付を川内市北中学校の中野達子女史に依頼した。同女史は川薩地方で体育ダンスの第一人者の定評がある。
九月十五日本校女教師二人と六年児童四人が振付を習いに行き全校児童に伝達した。
【校歌案 その三】




【西方小学校テーマソング「Dream of Nishikata」】
この歌は2009(平成21)年5月に作られました。この歌には,美しい西方の海や空,自然がいつまでもあり続けますように,そして,私たち西方小学校の子どもたちが,未来へ大きくはばたいていきたいという願いが込められています。